浄土真宗の教え

今月のことば(2010.7)信心をうれば暁になるがごとし

 ある冬に、霜が降りて、鉢植えの観葉植物が枯れてしまいました。
再び芽を出すことはないと思って、枯れた葉を全部切り取って、家の隅に置いておきました。
数ヶ月して、何気なくその鉢を見ると、見事な葉っぱを繁らせていました。

 もちろん、霜が降りなければ、葉は繁ったままで、時期が来れば、少しずつ葉が生え変わります。

 暁とは、夜明けのことです。夜明けは、希望を感じさせる言葉です。
暗雲に覆われて夜明けの空が見えなくても、必ず陽が昇ってきます。
信心を得れば、煩悩の暗雲に覆われていても、必ず仏のさとりを得ることを示したのが「信心をうれば 暁になるがごとし」です。

私たちは煩悩をもった存在です。もし信心を得たとしても、その姿は人によって異なります。

鈴木章子さんは、元々熱心な念仏者であったと思われますが、肺ガンになり、ご自身の死を意識されるようになって、
あちこちから仏の教えが聞こえてくるといわれ、闘病の場である病室がよろこびの場であると「今現在説法」という詩で詠われています。


肺がんになって
ここ あそこから 
如来様の説法が
少しずつ
きこえてきます


 大変感銘深い詩です。しかし、誰もが死を見つめて、鈴木さんのような心境になるわけではありません。
ある念仏者は、ガンになり、「厳しいご催促です。今まで何を聞いていたのでしょうか」といって、
ご自身の信心を問い直すような法話をされていました。
また、「煩悩はあるにはあるが、人並みだと思い、罪悪は、深重といえば深重なのだろうが、親鸞聖人がいわれるほど、
罪悪深重とは思えない。こんないい加減な私であるが、きっと、仏さまは何とかしていただけるのであろう」と感じていた人は、
大病をしても、「何とかしていただけるだろう」という気持ちは変わらなかったといわれていました。

 先の観葉植物の土の上の姿と根っこのようなもので、表面は人それぞれです。
「今現在説法」のど真ん中と受け取る人もいれば、厳しいご催促と受けとる人もいます。
しかし、信心をいただくと、外の姿は、どのようなものであっても、仏の道が開けていることが、
私にとっては希望を懐かせ、ありがたく感じさせられます。

 

(村上泰順師『心に響くことば』本願寺出版 より)

 
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